さくらんぼの歴史はこの人なしでは語れません
現在では、当たり前の技術も、その陰で開発した人々は大変な苦労があります。
今日は、さくらんぼ生産者には当たり前のビニールテントを最初に導入した「阿部 巌さん」についてお伝えします。さくらんぼの歴史はこの人なしでは語れません。
さくらんぼ栽培の歴史
はじまり
明治時代に伝来したさくらんぼはその育てにくさから、ごく少数の農家でしか栽培されていませんでした。
育てにくい要因は、寒さ、霜に弱く、何より収穫時期の6月に雨が降ると実が割れてしまうことでした。
その名は阿部巌さん
現在全国1位を誇るさくらんぼ生産地の、山形県東根市。そこで、生まれ育った阿部巌さんは、お父さんの家業を継ぎ農業の道へ進みます。
りんご畑の脇で、ひっそりと作られていたさくらんぼを、一人前にしてやりたい!そんな思いで、25歳から本格的にさくらんぼ生産に取り組みます。
まずは、土づくりから。水はけが悪い土だと、さくらんぼが弱ることに着目して、畑に石を入れました。
その方法を見た周りの農家の人は、首をかしげていました。畑に石を入れるなんて!という常識では考えられない方法だったからです。
しかし、石を入れる方がさくらんぼは元気に育ちました。
問題その1「マメコバチがいない」
次に、花が咲くのに実がならない!という問題が発生。サクランボの花を見上げながら、ふと「マメコバチ」が居ないことに気づきます。マメコバチの繁殖場所であったかやぶき屋根のヨシが減少し、マメコバチ自体も減少していたのです。
そこで、阿部さんは、自ら最上川の土手でヨシを刈り、かやぶき屋根の家の人に頼み込み、ヨシの束を屋根の下に吊るしてもらいました。
それから2年後。ようやく、木に赤い実がなるようになりました。
問題その2「気候」
さくらんぼを作っていて、毎年心を痛めることがありました。それは、さくらんぼは実が熟すころに雨に当ってしまうと、実が割れてしまうことでした。
天気予報で明日が雨だと知ると、まだ熟していないさくらんぼでも、仕方なく収穫していたのです。
ビニールテント導入
思い悩んだ阿部さんは、木を透明なビニールテントで覆うことを思いつきました。これは日本で初めての画期的な方法でした。
当初、それを見た周りの農家の人からは、あんなことしたら木が枯れると言われていました。それでも、阿部さんは雨が降っても収穫せずにじっと見守りました。
その結果、さくらんぼは実が割れることなく、赤く熟したものがたくさん収穫できたのです。
ピンチをチャンスに変える!これを成すためには相当な精神力が必要です。
でもそのピンチを超えてきた方々の知恵と勇気をぜひ、次世代にも引き継いでいって欲しいと願います。
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